学習指導要領の歴史を一気に!
1 学習指導要領の変遷の歴史
そもそも、学習指導要領とは、全国のどの地域で教育を受けても、一定の水準の教育を受けられるようにするための教育課程の基準のことであり、太平洋戦争前の教育の反省から、民主的な国家の教育としての指針としてスタートしたものです。
戦前の教育では、天皇中心の国家の国民としてという目標のもとに、「歴史」では神話と天皇側の歴史観が中心であったり、また、「修身」(しゅうしん)という教科では主従関係や国のために命を捧げることを礼賛するなど、昔ながらの道徳観を子どもたちに押し付ける内容であったり、今とは違い民主的な教育とはかけ離れた教育内容でした。
2 試案の時代
昭和20年8月に戦争に負けた日本は、天皇中心から国民主権の憲法に代わり、戦前の教育の反省の上に立って、新たな教育が始まりました。
その教育の見本としたのが、戦勝国アメリカの「コースオブスタディ」という教育内容の指針です。
当初は、そのままなぞっていたため「試案」としてスタートしましたが、改訂を重ね、昭和33年に「学習指導要領」としてスタートすることになったのです。
3 学習指導要領の誕生
当時はアメリカとソ連(今のロシア)が、戦後の世界の覇権争いを行い「冷戦時代」と言われていました。アメリカでは子どもの思考・発想を大切にするデューイの「経験主義」が主流でしたが、原爆、水爆、宇宙開発など科学技術で一歩先んじていたアメリカが、ソ連に世界初の人工衛星打ち上げ成功で遅れをとり、急遽「子ども中心の教育」から学問を「体系的に詰め込む教育」へと方針転換を行います。いわゆる「系統主義」への転換です。
4 経験主義から系統主義へ
日本も同様に昭和43年以降、授業時数を増やし、理数教科の強化を図ります。
しかし、この「詰め込み教育」は、学びについていけない「落ちこぼれ」を生み、学校の校庭や廊下をオートバイで爆走したり、飲酒、喫煙、教師への暴力など子どもたちが非行に走るなど社会問題となることに繋がりました。
そのため、教育内容を減らし「ゆとり」を持ってわかるまでじっくり学ばせる「ゆとり教育」へ方向転換をすることになりました。学校が完全週五日制になったのもこの頃です。
5 ゆとり教育への大転換
また、生活様式が豊かになったことで、子どもたちの多くが雑巾が絞れない、ナイフで鉛筆が削れないなど生活経験の無さも問題化しました。そのため、経験を多くさせる、経験を通して学ぶ「生活科」が新設されることにもなりました。
6 「ゆとり」どころじゃないだろ!
しかし、日本の教育は世界の中でも優秀であるとされていた時代が、PISAなどの世界標準の学力テストで大幅なランクダウンとなると、世の中は「ゆとり」どころじゃないぞ!という機運に変化します。
そこで「ゆとり」から「脱ゆとり」への大転換が平成15年の学習指導要領で断行されました。
7 そして新学習指導要領へ
このように、戦後の「経験主義」から「詰め込み」そして「ゆとり」「脱ゆとり」という大きな変化は、日本社会の出来事、様相と大きな関係を持ちながら、現在まで来ています。
今回の新学習指導要領では、これからくるAIに人間の仕事が奪われる、世界との繋がりがもっと近く、緊密になるという将来像をもとにしたものです。
この大きな流れを、しっかり頭にイメージしていくことが学習指導要領とはなんぞや?という問いに答えるために大切です。
教員採用試験では、学習指導要領の変遷を問う問題も出ますので、基本的な事項を整理しておきましょう。
本日はここまで・・・疲れた 江黒友美